どうして、良い思い出ばかり浮かぶんだろう。

20歳で大好きな母と義父と祖母を亡くした、その後の世界。思い出をなぞるように、好きなように書いてます。

20歳の時に母、義理の父、祖母を立て続けに亡くしました。
ブログのモットーは気持ちは隠さず素直に。

自分は20代後半です。若くして死別体験した人たちと語りたいです。(周りにいないので)

アルジャーノンに花束を

ここ最近は1人で過ごす時間が多いです。

人間関係の引きこもり期間。

人と一緒にいるのが疲れてしまった。


ゆるいアニメを観たり、読書をしたり、勉強をしています。


読書と言えばタイトルの"アルジャーノンの花束を"読みました。

ドラマ(ユースケさんの方)も観ました。


主人公は32歳の知的障がいを持つ男性。

家族から捨てられパン屋で働いてます。

ある時に脳の手術を受けて知能が上昇…天才になるお話。


主人公の帰る場所がないところや

得たものを失っていく恐怖、哀しみは

死別体験や自分の状況と

共通しているなと思った。


うーんつらい。

辛い話でした。

ドラマは小説版と内容が違うところがあって、

海が出てきたり(ロケ地が七里ヶ浜らしい)

登場人物も優しい人柄になってて、

自分はドラマの方がすきかも?



幸せって、人次第なんだなぁ。

辛い、可哀想って思われてても

その人が幸せ!と思ってたら

そうなんだろうし。


わたしと同じ立場でも

胸を張って幸せと思える人がいるんだろう。

いますか?


わたしが"不幸ぶっている"(昔付き合ってた子に言われた言葉です)のは


両親や祖母が亡くなって、

帰る家もなくて、

精神的な病気になって、

経済状況も大変だったことを


不幸だと主張したいからです。


このくらいのことで大丈夫なんだよ

って思われたくないからです


大丈夫だ、って思ったら

それが基準にってしまう


だから漫画やドラマにある

不幸に見舞われても

直向きに頑張る主人公像、

好きだけど

あれはファクションだからできる事

だとちゃんと皆が分からないといけない


「人間はショックがあれば

ちゃんとぶっ壊れるよ」


と言う現実を

綺麗事で誤魔化さずにいてほしいと思います。


当時は逆のことを思ってましたけどね。

「自分が幸せになることで、

周りを安心させられる。

わたしが笑ってることで

亡くなった家族も喜ぶ」って。


まるで漫画やドラマの主人公みたいです。

こういう考えだから、

周りから応援されることも多かった。


でも、だから何だった?

周りを安心させて何が残りますか?

亡くなった家族が喜ぶことを

誰が確認できますか?


結局勝手に周りの都合の良い自分で

いただけな気がして

バカみたいだなって思って

辞めました。


もちろん人生に置いて生きたい!って思うモチベーションは大事

前向きな姿勢は生きやすい考えだと思います

でもそれは本人が決めること。

周りが示唆したり誘導したりすることじゃない

ましてや強制だなんておかしい。


いまのわたしは一般的な応援されるかんがえじゃないと思います。

後ろ向きな姿勢なんで。

でも別にいいです。


多分どっちでもいいんです。

どっち、っていうか 何でもいいと思う。

自分が生きやすい考えなら何でも。


こういう話題は心がドーンと重くなります。


「もっと頑張れるだろう?」という目線、励ましの言葉、なんか疲れました。

わたしは一見、元気そうなので

そういう事を言われてきたし

そう思われてきたと思う。

だからそういう人と距離を置きたいし、今置いているんだと思います。


心が元気になったら少しは変わるのだろうか。

でも、鬱陶しいなぁ。

わたしは落ち込んでる人や頑張ってる人に

そういう事をわざわざ言う人になりたくない。

うざいからです。


なんかすごい脱線したけど

読書は楽しいです。

こういう、重たいことを考えずに済む時間を

少しでも増やしたい。

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