どうして、良い思い出ばかり浮かぶんだろう。

20歳で大好きな母と義父と祖母を亡くした、その後の世界。思い出をなぞるように、好きなように書いてます。

20歳の時に母、義理の父、祖母を立て続けに亡くしました。
ブログのモットーは気持ちは隠さず素直に。

自分は20代後半です。若くして死別体験した人たちと語りたいです。(周りにいないので)

15年前


15年くらい前のドラマについて調べていた。

昔、お台場冒険王というイベントの中で展示されていてなあと懐かしい気持ちになる。

あの頃は平和だった。

今思えば、両親は健在、兄弟とも仲が良く、みんな比較的健康でいたし、1番の平穏だった。

15年経ってほぼ壊滅状態。というか、半分いないくなったし。

誰が想像できただろう?


周りは15年前と特に変わらない家庭環境を過ごしてることに、世の中の酷い不平等さを感じる。


あと15年したらどうなってるだろう?

願わくばわたしもこの世から消えていますように!

夏は死の季節


夏は死の季節だ


自分にとって。


嫌いになりそう


逆に何で今まで好きだったのか、、

死なないで

危篤状態の猫がいた。

自分にはどうすることもできなかった。

10年前に亡くなった母が重なった。


あの日も夏だった。

蝉が鳴いて、入道雲が見えて、夏のど真ん中のような日で。


死なないでほしかった。

でもそれは何で?


母は癌だった。

治療で苦しんでいた。

副作用で吐いて、

食事はまともにできず、

目に見えて体は痩せ細り、

チューブに繋がれて寝たきりだった。


わたしは生きて欲しかった。

本当に本当に生きていて欲しかった。

でも母は生きていたかったのだろうか?

辛い、終わりのない苦しみから抜け出したいと少しでも思ったりはしなかったのか?


"生きて欲しい"はタダのエゴなのか。


わがまま、

自己満足、

ただ自分が不安になるから、行かないで欲しい。

だから死なないで。

生きて欲しい。


治療することが当たり前だったから、

生きて欲しいと思うことが当たり前だったから。


「お母さんは生きていたい?それとも…」

実際に母と話せた訳じゃない、だからもう一生知らない。


分からない。


ただの他人が

生きて欲しい

なんて

望んでよかったのかな。


こんな時に、頭をよぎる。


死んでしまいたいとこぼした時に、

「死んだら周りの人が悲しむ」

「あなたは周りの人の気持ちを考えていない」

と言われた言葉。


そりゃあできないよ。

わたしは周りの人のために生きていないもの。


正直言って、どうだっていい。

自分の死にたい気持ちが、周りが止める権利なんてない。

わたしの死はわたしだけのものだ。

11年前から地獄

夏。

わたしの好きだった季節。

11年前を思い出す。

自分の大切な人が死ぬかもしれない、って瞬間。

母の危篤の連絡を病院から受けて、どうやって病院へ行ったか覚えていない。

ショックすぎて記憶がない。


こうなると連なって思ってしまう。

まだ家族が生きている人たち。

大好きな人が生きている人たち。

これから経験するの、大変だね。

大好きな人が死ぬのは超辛いよ。

目の前で息を引き取る瞬間を見てしまったら

人生変わってしまうよ。

右肩下がりに。

自分もすっごい死にたくなるから覚悟しといたほうがいいよ。と。


落ち続ける坂。


みんな、はやくここまできてくれよ。

私と同じ場所まできて。

この地獄に。

そもそもの話

久しぶりの更新です。


今公園にいるのですが、目の前にたくさんの保育園児たちが走り回っています。

たのしそー。


わたしは小さい頃から両親の顔色を伺う子供でした。

何も考えずに純粋に子供時代過ごしたかったなーと

ネガティブな考えになってます。


わたしは結婚とか家庭を持つという

そんなことより

もう一度子供時代からやり直したいです。

ちゃんと愛情のある家族がいる環境で

普通に過ごしたいです。

それだけです。

それすらできてないのに

次のステップに行ける気はしないからです。

だから、もう考えるのよそう。

ただでさえ、生きてるだけでしんどいことが多い。